「霧の郷たかはら」:絶景の熊野古道食堂と宿

2020年11月02日

「霧の郷たかはら」:絶景の熊野古道食堂と宿













高原(たかはら)は和歌山県田辺市中辺路(なかへち)町の山の上の小さな集落です。
この集落を熊野古道中辺路が貫いていることと、標高300mを超える集落地からの眺めが壮観であることから、徒歩で巡礼する古道ファンでなくても憧れる人の多いエリアです。

「霧の郷たかはら」:絶景の熊野古道食堂と宿



地元の方のもてなしの心に加えて、この場所の歴史と自然の環境に惚れた移住者がチラホラと暮らし始め、小規模ながら農業を始めたり、素敵な飲食店、宿などを開いたこともあって、近年は旅雑誌にも掲載される隠れ里的な人気を呼ぶようになってきています。

高原についての詳細は記事末にまとめておきました。できれば読んでみてください。

「霧の郷たかはら」:絶景の熊野古道食堂と宿



無宗教の私ですから、宗教施設への信仰を強要するつもりはありません。でも、
古道巡りの徒歩旅であろうと、細い道を車で上がってこようと、高原を訪れた旅人はまずは高原熊野神社に参拝することで到着を実感できるでしょう。近辺に現存する建築物としては最古であるといいます。(1532年と伝わる)また、南方熊楠の「南方曼荼羅の風景地」の一つでもあります。

そしてそのあとは、少しだけ先にある展望休憩所からの絶景を眺めてください。目の前に連なるのは果無(はてなし)山脈。千m前後の山々を一望できるポイントは熊野でもそう多くありません。朝のうちなら霧がたゆたう幽玄な風景と出会うこともあるそうです。

空腹を感じ、弁当持参でなければ、少し上って「霧の郷たかはら」でランチをするのも良いでしょう。徒歩でも車でも行けます。

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客室

元は公営の宿だったこの建物を現在のオーナーが買取り、スペインなど多国籍な風味を付け加えた魅力的なリニューアルを施して完成しました。基本はホテルで、シーズンにはなかなか予約の取れない人気の宿です。なぜなら、どの客室からも果無山脈の絶景を臨む宿だからです。二人二食付き利用で13000~15000円(1人)レベルの清々しい山の宿です。(私は宿泊したことがありません。)


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ロビー

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食堂テラスから


また、宿泊客でなくても気軽に入れる食堂も開いています。中心メニューは地元食材をたくさん使った郷土料理のランチです。ボリュームもあってほっこりします。お米も上々です。もちろんカフェ利用もできます。オーナーのもてなし心のこもったサービスも印象深いはずです。オーナーからは外国体験やこの宿を作ったいきさつなど色々お話をうかがいましたが、ここで書くのは避けます。ご自身で尋ねてください。

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なお、宿のすぐ前には熊野古道が通じています。ふつうの地道ですが、これも何かのご縁です。たとえ数十mでも歩かれてはいかがでしょう。

※現在コロナ禍のため古道歩きの巡礼は激減しています。そのため、高原集落の飲食店などは休業しているところもあります。ご注意ください。ただ、この「霧の郷たかはら」が営業中であることは確認しています。


「霧の郷たかはら」
ホームページサイト
和歌山県田辺市中辺路町高原826
0739-64-1900
駐車場あり
高原への車での行き方は、本稿の最末尾に書いています。


「霧の郷たかはら」:絶景の熊野古道食堂と宿




高原について

この宿の住所は旧中辺路町高原。
中辺路町は2005年の合併によって和歌山県田辺市に編入されました。
その編入自体をここで論じるつもりはないのですが、山林面積が95%という中辺路の里々、村々を訪れると、ここが”市”域であることに違和感を感じざるを得ません。

ここ高原(たかはら)は、文字通り高原(こうげん)のような地形で、富田川が流れる麓の芝地区と比べると230~280mほどの高さを維持して平坦に連なっています。地形図で高原集落(熊野神社)と芝地区(中芝)とを結ぶ断面図を作成(縦横3:1)すると下図のようになります。

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地形図をそのまま示すとこうなります。

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眺望こそ抜群なものがありますが、ここは山里です。農作物を育てるにも苦労が多そうな地形で(でも水田があります!)、裏は山また山。ここまで通じる道路も1.5車線程度の細い山道ですから、やはり”市”域のイメージとはほど遠いところです。

旧熊野古道中辺路(なかへち)のメインルートはこの高原を通っていたのですが、平安〜鎌倉時代にはまだ人家がほとんど建っていなかったようで、(当時までに設定された)”王子”という休憩・宿泊・祭祀を兼ねた熊野詣の巡礼のための施設は無かったと考えられています。

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熊野高原神社

wikipediaによれば、集落が成立したのは14世紀の南北朝時代で、高原熊野神社が創建されたのがそののちの応永年間(1394〜1428年)と考えられるとのことですから、ざっと室町時代以降の中辺路ルートを通る熊野詣の際には宿舎など王子に準じる施設が設けられていたのでしょう。

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神社の古木

また高原熊野神社の現在の主祭神は熊野速玉大神。ご存知の通り、新宮市の速玉大社の主祭神です。中辺路沿いにあるという地理的要因から考えると、地主神祭祀の時代から熊野神を勧請して主祭神にするまでの時間的経過は短かったのでは?と推測します。

なお、麓の芝地区には大正時代までは旅籠(はたご)や籠屋(かごや)が建って賑わっていたそうです。芝地区から熊野神社まではわずか3~4㎞の道のりですから、高原の”王子”は小規模なものにとどまっていたのかもしれません。

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車で高原に登る場合、北ルートと南ルートの二つの選択肢があります。南ルートのほうがおすすめです。
南ルートの入り口は、国道311号の栗栖川あたり、交差点”原之瀬橋北詰”(古道ガ丘)を折れて富田川を渡ります。渡ったあと左に向かう道を進み、T字路で右へ行きます。あとは道なりです。1.5車線くらいの道が続きますのでゆったり進んでください。間も無く左手に高原熊野神社の小さな杜が見えます。1台くらいなら車が停められます。帰路も同じ道で帰るほうが良いでしょう。




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