済州島料理:生野の「福一」マシッソヨ
2008年11月02日
石のおじさんトルハルバン(돌하르방)のミニチュアが土産物屋に並び、世界遺産の漢拏山(ハルラ山 한라산)がそびえる済州島(チェジュド제주도)にはたくさんの思い出があります。
それは軍事政権下の厳しくも治安の良い時代の訪問でした。
その旅行中、済州島の人々から受けた優しい心遣いの数々は、今もわたしの「韓国/朝鮮人」観のベースになっています。
木浦(モッポ)に戻るフェリーを待つ長蛇の列の最後尾に並んだとき、日本人の(個人)旅行者と知るや、次々に列の前に送り出してくれ、ついに列の先頭にまで達したときの驚きと感激は、私の宝物です。
乗っていたタクシーが接触事故を起こし、相手のドライバーと激しい言葉でやりとりをしていた運転手さん、ふと客の私に気づいて笑顔に戻り、補償交渉を打ち切って目的地へ急いでくれました。
半島部とは違い、併合下の教育で強制的に学習させられた日本語を話すことをためらわない方が多かったのも印象的です。
日本の大根のタネは優秀だから帰国したら送っておくれと日本語で語りかけた初老のおじさん。検疫制度のために送れないままでごめんなさい。
よく知られているように、済州島は「三多・三無の島」と呼ばれます。
三多とは、石と風と女の三つが多いこと。
三無とは、泥棒と乞食と(泥棒を防ぐ)大きな門の三つがないこと。
暖流が岸を洗う温暖なところとの印象が強い島ですが、台風被害が多く、冬の季節風は厳しく、そして火山島特有の水持ちの悪い土壌のため、決して豊かな島ではありません。そのため日本統治下では多くの島民が日本に出稼ぎに来ました。三無とは、共同体を大切にして貧しさを乗り切ってきた結果に他ならないのだと私は思います。
第二次大戦後の冷戦時代、1948年4月3日には「済州島四・三事件」という不幸な事件がおこり、危険を感じた島民が退去して島外に脱出、人口が激減する事態におちいりましたが、やがて再び人々は戻り、今では60万人近い人口を抱える観光島となりました。
さて、すっかり前置きが長くなりました。
大阪市生野区は在日韓国/朝鮮人の多い地域ですが、その中には相当数の済州島出身者がおられます。
旧称「猪飼野」の中心であった御幸(みゆき)通りから少し細道を南に入ったところに、目的の店「福一」はあります。
このブログでは二度目の紹介になります。前回記事。
焼肉店やビビンパ店ではなく、済州島料理がメインのお店です。
人柄同様、味も優しい済州島料理、おすすめです。
「福一」 〜韓国(済州島)料理の居酒屋
大阪市生野区桃谷5−8−3
06-6712-0229
火曜休 平日は14:00から営業
先日、3500円のセット料理をいただいてきました。
あえて料理名は省きますが、福一さんの名物料理がズラリと並び、満腹を通り越すボリュームの、満足のいく宴会になりました。
人数がまとまったときにはおすすめします。
あえて料理名は省きますが、福一さんの名物料理がズラリと並び、満腹を通り越すボリュームの、満足のいく宴会になりました。
人数がまとまったときにはおすすめします。
Posted by gadogadojp at 11:30│Comments(0)
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