丹後へ〜その4:丹後半島Ⅱ

2011年09月26日

丹後へ〜その4:丹後半島Ⅱ


丹後へ〜その4:丹後半島Ⅱ

網野から間人へ向かう途中の美しい海岸



網野からは国道178号を通って北上し、間人(たいざ)、竹野の集落へ入りました。
蟹のシーズンには観光客の憧れが集中するあのタグ付き間人カニの水揚港です。
まず竹野神社に寄り道しましたが、すぐそばには神明山古墳が築かれています。


丹後へ〜その4:丹後半島Ⅱ



竹野神社の祭神の内一柱は丹波竹野媛(たにわのたけのひめ)。第九代の開化天皇(わかやまとねこひこおおびびのみこと)の妃とされています。もちろん伝説上の天皇、妃ですが、大和と丹後(元は丹波)の古来からの深い繋がりが垣間見えます。
いずれ一度は、十月十日に行われるテンキテンキという芸能見学に来たいものです。


丹後へ〜その4:丹後半島Ⅱ



神明山古墳(写真はありません)は墳丘長190mに及ぶ日本海沿岸第二の古墳です。古墳の目前の田地は以前は潟湖(かたこ)であったことがわかっています。銚子山古墳と同じパターンで、ここでも立地のポイントは<良港>の存在にあります。

ただ、残念ですが、両方ともちらりと眺めただけで先を急ぎます。
初めての訪問ではありませんし、日暮れ前に丹後半島の海を眺めたいからです。


丹後へ〜その4:丹後半島Ⅱ

筆石集落

竹野の次に筆石という集落がありました。ここは海岸段丘上の集落で、海の眺めが抜群です。ここに車を停めましょう。
国道沿いには幸い車数台が駐車できる展望所があります。屏風岩と名付けられた列石が海から突き出しています。日本海の風波が海岸段丘を浸蝕し残したのでしょう。美しい眺めです。


丹後へ〜その4:丹後半島Ⅱ



その後は集落内の道をとり、さらに高台まで登って行きます。日本海が一望の絶景です。ただ、集落前の段丘上に、周囲の青田とは異なる小さな四角い盛り上がりがあるのが気になります。もしかして古墳(方墳)ではないでしょうか。せっかくですから近寄ります。国道の下をくぐります。私の車では慎重に右左折しなければならない道幅です。

農作業している男性に、この先を進んでいけるか尋ねました。男性は、どこに行きたいかと問い返します。私は古墳のようなものが見えたので、そこまで行きたいと言いました。男性は、それなら行けると答えてくれました。


丹後へ〜その4:丹後半島Ⅱ



すぐにたどりつきました。それはやはり方墳でした。枡塚古墳と言うわかりやすい命名です。一辺20m、5世紀中頃の築造です。この地の首長の墓だと説明板には書かれています。でも、周溝まで含めると一辺40mになるといいます。わずかな平地しかないこの地には十分大きな墳墓であるように思えます。古墳という建造物の果たす役割は、決して埋葬施設としての機能だけでないことがよくわかります。


丹後へ〜その4:丹後半島Ⅱ



海の匂いをたっぷり身体にしみこませ、筆石集落を後にし、さあ一路天橋立へ、と思った直後の竹野集落で、またも古墳を見つけてしまいました。この方向に走っていないと見えない角度で説明板が崖の上に立っています。気がついた以上、見に行くことにします。竹野小学校に入る坂道を上ると、小学校の隣に古墳がありました。産土山(うぶすなやま)古墳と言います。直径50mを超す円墳ですが、小高い場所に築かれていますので、ここでも古墳から海は一望できます。つまり海からも(白い石が葺いてあれば)よく見えるということになります。


丹後へ〜その4:丹後半島Ⅱ



ここまで読んでくださった方は、gadogadoは古墳が本当に好きなんだなと思われたでしょう。ええ、好きなんです。大きくて白くキラキラ輝くモニュメントがそびえていた古代の風景を想像するのが好きなのです。けれど、もっと大きな関心は、その古墳自体よりもむしろ、これを築いた権力とその力の源泉たる経済力は何だったのか、これを造り、仰ぎ見ていた人々はどこから来てどこに住んでいたのか、彼らにとってこの古墳はどんな意味があったのか、彼らは何を食べてどんな毎日を送っていたのか等等の社会/文化上の背景の探究にあるのです。ですから、古墳がなぜここに築かれたのか、それを探りたいのです。そのためには実際に現地に行って古墳を眺め、その地形を観察し、展望を実感したいのです。


丹後へ〜その4:丹後半島Ⅱ



話題を戻します。
ここ産土山古墳は、日本海では珍しい長持型石棺、石棺内に施された朱、枕に残る頭髪、整然と並べられた豪華な副葬品等、たいへん興味をそそる古墳です。
付近には大成古墳群もあり、眺めが良いそうですが、今回はしぶしぶパスしなければなりません。


丹後へ〜その4:丹後半島Ⅱ



さあ、いくらなんでも宿に向かわねば、と思って、車を(勝手に)停めさせていただいた小学校の校舎を見ると、いくら夏休み中とはいえ、人の気配がなさすぎます。よくよく見ると、なんとこの小学校はすでに閉校になっていたのでした。校舎はまだ荒れ果ててはいませんが、卒業生の記念製作でしょうか、トーテム・ポールがぽつんと残って健気に空っぽの学校を守っているようで、しんみりしてしまいます。おそらく隣の間人の学校に統合されたのでしょうが、遠い学校への通学を続けている竹野の小学生の皆さん、めげないで負けないでしっかり勉強しましょうね。


丹後へ〜その4:丹後半島Ⅱ



今回の丹後半島の旅では、町や集落を訪問できたのは数カ所だけでした。しかし、その寄り道が私にとって大切な記憶となりました。どこを旅する場合も同じですが、特に半島や離島を徒歩以外の手段で通行する時に、ついつい便利な一周道路を回って、その地を見たような気になってしまいがちです。けれども、旅とはたぶんそのような簡便なものではありません。一周道路から一歩はずれたところに真の生活、真の地域、見るべき歴史や文化があります。大げさに言えば、旅は寄り道がすべてです。


丹後へ〜その4:丹後半島Ⅱ



さてこの後は一目散に天橋立を目指します。間人で国道178号から国道482号に道を踏み替え、標識だけを頼りに峰山に向かいます。
やがて国道312号に出会いますので、これを左にとります。どこかで夕食をとらねばなりませんが、何の下調べもしていなかったので、街道に数多い食堂/レストランの看板を眺めながら走っている内に、ちょっとした山あいの道になり、飲食店は姿を消します。
天橋立付近には遅くまで開いている飲食店はない、と宿で聞いていましたので、Uターンして戻ります。大宮町周枳に「弁慶寿司」という回転寿し屋がありましたからここに入ります。一人旅にはこんなところが無難でしょう。


丹後へ〜その4:丹後半島Ⅱ



店内はやや閑散としていますが、品書きには地物の魚が並んでいます。それを中心に10貫ていどいただきました。酒無しではこれ以上入りません。全体に悪くないネタでしたが、中で別注のカンパチの腹身はかなりの美味さでした。
勘定は800円未満だったので、いささか驚きました。
旅の夕食にふさわしいとは思いませんが、この国道を通っている時にちょっと小腹が空いた時など、寄ってみる価値はあります。


丹後へ〜その4:丹後半島Ⅱ




さあ、あとは天橋立に行き、今夜の宿「酒鮮の宿 まるやす」で寝るだけです。
いえその前に、宿の主人自慢の日本酒を一、二杯飲んでから。




「弁慶寿司 大宮店」
0772-68-1199
京都府京丹後市大宮町周枳2
10:00~21:00
駐車場完備



同じカテゴリー(旅行)の記事
橋杭岩ライトアップ
橋杭岩ライトアップ(2019-11-02 21:56)

天草四郎と原城址
天草四郎と原城址(2017-02-12 21:30)

沖縄の小さな風景
沖縄の小さな風景(2013-02-16 18:30)


Posted by gadogadojp at 18:30│Comments(0)旅行
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。