若狭へ〜その1:三方五湖と常神半島

2011年10月08日


三方五湖と常神半島

今回、急に決まった旅でした。
丹後、若狭という馴染みのあるエリアを選ぶことにしたとき、初めて訪問する場所を加えようと思いました。
それが、福井県の三方五湖と常神半島です。

三方五湖は良く知られた観光地ですが、これまでチャンスが無く、それぞれの湖の呼称すら知りません。
ここで少し整理してみます。

日向湖(ひるがこ)、久々子湖(くぐしこ)、菅湖(すがこ)、水月湖(すいげつこ)、三方湖(みかたこ)と名の通り五つの湖があります。
人口掘削が施された結果も影響し、それぞれの塩分濃度が異なる所がユニークです。
三方五湖レインボーラインという観光道路があって、梅丈岳山頂付近からの眺望はみごとだと聞きますが、今回は時間がなくパス。いえ、天候も悪過ぎました。

小浜方向から海沿いの国道162号経由でやって来た私は、食見トンネル(1992年開通と後で知った)を抜けて食見(しきみ)集落へ、さらに世久見(せくみ)集落から世久見トンネルを通って県道216号へ左折し、常神半島方向に向かいます。
その街道は、左手に梅林、右手に三方五湖(三方湖→水月湖)を眺めながら走ることのできる道です。湖面に浮かぶのは菱の葉でしょうか。緑の緞通に一筋の澪(みお)が通じている景色など、とても風情があります。


若狭へ〜その1:三方五湖と常神半島



若狭へ〜その1:三方五湖と常神半島




海山集落から三方五湖を離れ、県道216号線を北上します。海山(うみやま)→塩坂越(しゃくし)→遊子(ゆうし)→小川(おがわ)→神子(みこ)と、現れては去って行く、その名もゆかしい集落に心惹かれます。
眺めの良い場所や小さな社があるたびに車を停めてしばらくたたずみます。
例として、遊子の写真を数枚掲載しておきましょう。

若狭へ〜その1:三方五湖と常神半島



若狭へ〜その1:三方五湖と常神半島

ほとんどの集落には民宿があります。夏は海水浴。冬はフグやカニ。そしていつでも釣の客?

若狭へ〜その1:三方五湖と常神半島



若狭へ〜その1:三方五湖と常神半島




小川から神子(みこ)へと進む途中に展望所があり、車が何台か停められます。
「破風崎」と書かれていました。(住所:福井県三方上中郡若狭町神子)
降り立ったとたん、これだと思いました。この景色こそ、夢想の中で私が見たかったものでした。


若狭へ〜その1:三方五湖と常神半島

左の島が御神島(おんがみじま)、その右が常神(つねがみ)半島の突端、その右手に見えるのが常神集落、その手前の岬は神子(みこ)崎。
地名が神様だらけ。



詳しい内容は別ブログで書きますが、
コミック『陰陽師』からの触発もあって、数年前に南紀熊野を旅したとき、玉置山という山が妙に気になりました。
そこで帰宅後に地図上で玉置山から南北に線を引いてみました。
北向きの線は、飛鳥、比叡山を通ってこの常神半島付近で日本海に消えて行きます。
それを知って以来、一度はここへ来たかったのでした。

下の地図の矢印がだいたいの破風崎の位置です。
常神半島の先端は、船舶を風から守るような形に湾曲しています。
古来、この半島は、日本海を渡る船にとっても、避難のためにも重要な位置にあったのではないでしょうか。




気長足姫尊(おきながたらしひめのみこと、神功皇后)が熊襲(くまそ)征伐へ向かう時に、角鹿(敦賀)を発ち、渟田門(ぬたのと)に至り、船の上で食事をしたと『日本書紀』に書かれています。この渟田門とはこの付近の海峡ではないかと言う説があります。
気長足姫尊はもちろん伝承上の皇后ですが、7世紀前半に実在した舒明天皇(息長足日広額天皇、おきながたらしひひろぬか)がこの御神島に神社を建立したという伝承もあり、海人族<オキナガ>の祖先にとって、きわめて重要な半島であったことはおそらく間違いないでしょう。
むしろ彼らの最初の渡来地であり、ここから敦賀へ至り、琵琶湖周辺に勢力を張った、と考えたい所ですが、ここではこれ以上の飛躍は自重します。


若狭へ〜その1:三方五湖と常神半島




さて、常神の集落へ向かいましょう。


<続く>



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Posted by gadogadojp at 18:30│Comments(0)旅行
 
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