クラウンホテルとコザの街
2016年01月27日
「バラッドカフェ」のジュークボックス
コザ
コザは沖縄第二の都市沖縄市の中核繁華街エリア。
元はコザ市と名乗ったこともあります。
私たちにとって那覇とやんばるの通過点でしたから、
コザに泊まるのは今回が初めてです。
「コザ麦酒工房」で地ビールを飲むために、繁華街の近くの「クラウンホテル」に宿をとり、夕食後にコザの街を散歩しました。
日中とはまったく異なる様相を呈した街は魅力的でした。
このあたり戦前は越來村(ごえくそん)と呼ばれた農村でした。
米軍が巨大な基地(嘉手納基地)を建設したため、
有用な土地の多くが<接収>されてしまったのですが、
どっこい島民はこの基地とともに生きる術を身につけ、
華やかな繁華街を形成したのでした。
以後は那覇市に勝るとも劣らぬ賑やかなエリアとなりました。
沖縄音楽界をリードした街としても有名です。
クリスマスの電話ボックス
・・・と、このような描写をしてみても、
だいじなところがスルリと抜け落ちてしまいます。
もともと市民にとって米軍は専制者としてたちふさがっていました。
加えて生命をカタにとられた米兵たちの行動は、
特にヴェトナム戦争が始まった後は荒むことも多くなりました。
1970年12月に起きた「コザ暴動」について
私たち内地に住む人間に届く情報があまりにも少なかったのですが、
それでも、軍隊の街の住民の受けていた日常的な苦難を想像できました。
(その想像がはなはだ甘かったことが後でわかるのですが)
その後、米兵の人数は減少し、
他の場所に繁華街や大型商業施設が建ったこともあって、
最近のコザはずいぶん寂れてしまったようです。
それでもなお、ここは特別の場所です。
私たちの散歩は短い時間でしたが、
なぜでしょう、
郷愁のような感情が湧きあがり、こみあげるこの街を、
その特別の場所であることを楽しもうとしました。
基地やアメリカ、戦争と平和の問題を背中のリュックにしまいこんで。
ずっしりした重さを感じながら。
パークアベニュー、ジャスミン?の植え込みが匂い立つ通りです
照屋楽器店
赤いネオン
4900円のパーティードレス、誰が着るのを待っているのでしょうか
ゲートウェイ通り、行き止まるとそこは普天間基地のゲート
「バラッドカフェ」のコーヒー、チョコレートを塗っていただく塩せんべいが美味:奥様撮影
クラウンホテルの客室:奥様撮影
「クラウンホテル」
コザの目抜き通りゲートウェイ通りからはあっという間に着く場所にこのホテルはあります。
新しくはありませんので、廊下の話し声は少々聞こえすぎましたけれど、
部屋は清潔で広く、スタッフは親切。
ホテルでの私たちの滞在時間は短く、
ここで書くほどの情報はあまりありませんが、
<ウチナーのコザ>の空気を内包したような地元のホテルです。
素泊まり、朝食付きなど宿泊プランは数種類。
公式ホームページをごらんください。
私たちは朝食付き2名で13000円ほどで泊まりました。
沖縄市上地4-1-51
TEL 098-933-2551
FAX 098-932-2194
クラウンホテルの夜のロビー、腰掛けられる屋外喫煙スペース
クラウンホテルの朝食:ごくふつうのタイプでした。
クラウンホテルの正面、駐車場もここ