天草四郎と原城址
2017年02月12日
島原の乱後破却された石垣
天草四郎と原城址
ちかごろ天草四郎の話題を聞くことがなくなったな、と
昨秋の天草の旅の折にそう感じました。
天草四郎墓碑
昭和30年台のヒット曲森繁久彌さんの持ち歌『落城の賦』
(作詞:宮崎耿平、作曲:古賀政男)は、
ずばり天草四郎と原城を題材にしています。
そのなかの一節はこんな具合です。
「天草灘に日は落ちて 岬の城に風さむし
四郎の夢か鵜の鳥の 羽音かなしき古戦場」
Youtubeにもありました
四郎を題材にした歌謡は他にも橋幸夫さんの『南海の美少年』などたくさんあり、
また、多くの映画や小説にも登場してきました。
沢田研二さん主演の『魔界転生』は多数の観客を集めました。
しかし最近はとんと耳にすることがなくなりました。
体制に刃向かうことが流行らない時代になったのなら不健全ですね。
日本の歴史は反乱や一揆の宝庫ですのに。
民衆の権力への反感・反抗こそが、より良い次の時代へのエネルギーですのに。
ところが天草、そして島原半島の原城址を訪ねると、
そこかしこに天草四郎や島原の乱に関する説明が書かれていて、
ちょっとほっとします。
原城址に行くには、島原半島を伝っていくのが定石かもしれませんが、
島原の乱は海をはさんで島原半島南部と天草との農民・牢人の連携で起きたものですから、
むしろ天草から島原湾(有明海)を渡ってたどりつく方が、
乱のリアルな距離感がわかって良いかもしれません。
概略図を示します↓
天草の鬼池港から島原半島の口之津港までフェリーが通じています。
(島原鉄道:所要30分、日中はほぼ1時間に1便、大人片道360円、4m未満の車両片道2030円)
この船に乗ると、東側(原城側)に湯島が見えます。
別名談合島と呼ばれ一揆衆が決起を決意した島です。
またその付近はオランダの船が浮かんで原城を砲撃した海域です。
なかなか価値のある眺めではないでしょうか。
原城址から見た湯島
口之津港から原城前を通るバスもありますが、この場合は少々歩く距離が長くなります。
マイカーでない場合はレンタカーまたはタクシーが便利でしょう。
駐車場は、公道よりもずいぶん奥の、城の中心近くに用意されています↓
島原の乱とは、1637年末から翌年4月にかけて起こった、一つの地点で起きたものとしては日本史上最大級の一揆です。
37000人の武士や農民がここにたてこもり、ほぼ全員が殺戮されました。
天草四郎をはじめ、中には伴天連(キリスト教徒)もいたために、
鎮圧後は、江戸幕府によって<宗教上の騒動>と限定的に処理されましたが、
実態は、幕藩体制に対する大反乱だったのです。
多い時期は日本の総人口の十分の一を占めたかとも言われるキリシタンたちにとって、
この乱が厳寒の時代を迎える幕開けに利用されたことは、
映画『沈黙』で明らかにされた通りです。
ただ、このブログではこれ以上詳細に内容に立ち入ることはしません。
すべての建築物が幕府軍によって破壊し尽くされ、
遺体は土に埋められました。
(天草四郎の首は長崎のポルトガル商館前にさらされました)
この茫漠とした城あとにたたずむと、
犠牲者たちの無念に背筋が寒くなるかと予想していましたが、
不思議なことに、生き生きとした芽生えのパワーがみなぎっているのを感じました。
もしかして転生の時期がせまっているのかもしれません。
いやいや、ロマンチシズムが過ぎますか。
Posted by gadogadojp at 21:30│Comments(0)
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